私は三国志が大好きなので、三国志に例えて話をしよう。
袁紹軍100万の大軍が曹操軍数万の兵で破った「官渡の戦い」
負けた理由は袁紹が優柔不断で決断力がなかったこと。
内輪では3兄弟の家督争いで乱れていたこと。
曹操が決戦の時に時間を稼ぎ、逆光となる太陽のせいで敵がみえにくい環境になったこと
決戦後に退却して陣を構えていたところ、夜襲をかけられ、兵糧がほとんど失い、食べるものがなくなったこと
決戦に勝った曹操はそこから国土の半分を得ることになる。
巨大な勢力になった曹操軍が呉に進軍して劉備・孫権連合軍と戦った「赤壁の戦い」
なぜ曹操100万の大軍が劉備・孫権連合軍数万の兵に負けたか
曹操の領土は歩兵・騎馬戦が主流で水上戦に不慣れであったこと
曹操軍のそれまで各地での連戦連勝により、軍隊がおごり高ぶっていたこと。
水上部隊の都督(隊長)が水上戦を知らない武将が務めていたこと。(人材不足)
知識不足の都督の命令で船同士を鎖で繋げていたため、火攻めに遭い、逃げ場がなくほとんどが全滅したこと
劉備が関羽・張飛の敵討ちとして全勢力の7割の大群で呉に攻めた「夷陵の戦い」
なぜ、劉備は負けたのか
戦いの序盤から劉備の連戦連勝で軍隊がおごり高ぶっていたこと。
連日の連戦で兵士が疲弊していたこと。
疲弊が悪化し、多くの病人を出したこと。
軍隊を休息させるため、真夏の日差しを避けるため、茂みにて陣を構えたこと。
真夏は乾燥して火がつきやすい状況で茂みに陣を構えていたため、茂みに閉じ込められた状態に。
そこから火攻めに遭い大火事が起き、逃げられず、大軍のほとんどが全滅。
簡単に説明したがこのように必ず負けには原因がある。
サッカーもしっかり突き詰めていきましょう!