イスカルカップ総括
「戦術”俺”が生み出す弊害」
今回、イスカルカップに参加した選手達の中で、特にWAKATAKEでプレーした選手は、それぞれの日本の所属チームでもおそらく中心の選手が多いです。いわゆる日本で「うまい」とされている、目の前の相手をはがせる選手達で、日本の環境下であれば、ある程度の仕事が1人でもできてしまう子達です。
それ故に、普段からボールが集まり、「戦術”俺”」の中で、厳しい要求はされず、自由にプレーしているのかな?という感じがしました。
こっちに来てもそれが要所要所で出てしまい、力を出すべきところで出し切れない。失っても周りが回収してくれると思っている。
”自分の今まで”が新しい何かを得るための邪魔をしている。そんな印象を持ちました。アキラやカナト、ユウセイ、リュウケイは、その点、素直に順応しようとする意識が高く、少しずつできることが増えていきました。
この4選手以外にそれが起こってしまうのは、普段のプレーレベル云々ではなく、単に環境だと思います。環境がそうさせてしまっていて、それを変えない限りは、「戦術”俺”」がいつまでも染みついて消えず、サッカーは1人でやるものだと思ってしまうかもしれません。
あれだけ技術レベルの差があった、レアルファンデーション相手でも1人で仕事の出来た選手は、皆無で、この事実が、”いる場所”の大切さを物語っています。
反対にJP SELECTの選手達は、自分達の出来る範囲がある程度理解できており、一切の過信がないので、「戦術”俺”」は一切なく、チームで闘う意識が高く、外からの声をすんなりと受け入れられる選手が多くいました。
これは昨年のドノスティカップで、レアルソシエダに勝った2009年チームと同じ現象で、チームの醸造に時間をかければ、WAKATAKEに勝つことも難しくありません。
まだまだ、自信なさげで、自分達発信で、ゲームを作っていったりは難しいですが、順応は早いだろなという印象です。
特にカンタは、ガムシャラで粗削りですが、すごく話を聞いていて、体現できなかったとしても、あとから確認すると、一言一句漏らさずに言葉にできます。
彼らにとって大事なのは、今回の経験を思い出にしないことです。日本に帰ってもここでの学びや気付きを沢山周りに伝えて、自分の中に落とし込んでいって欲しいと思います。そして、また、チャレンジし、再確認をする。
唯一無二のイスカルカップは終わりましたが、世界最大の大会である「ドノスティカップ」で成長した姿を見られること楽しみにしています。
ゆうせいはプレーだけではなく
「人間性」の部分で高く評価されているのがわかる。
「聞く耳」を持ち
「受け入れる」素直さを持ち
「真面目に」サッカーと自分と向き合う事
そして
「向上心」
「負けず嫌い」
「誰よりもサッカーが大好きであること」