これは私が高校3年生の時の国体(国民体育大会)のサッカー少年男子の
大会優秀選手30名が書かれています。
私は高校2年から国体北海道選抜に入り
2年連続全国ベスト8でした。
そのベスト8で2年連続で負けた相手
それが静岡選抜でした。
静岡は今もサッカーの街として有名ですが
昔は今を遙かに超える強さがありました。
日本サッカーと言えば静岡
スタメン11人だけでは無く
ベンチメンバー含めて全員が化物でした。
そして、この表
私は北海道で唯一選ばれた
GK4人の中の1人だったんですが
この選ばれた選手達がその後どうなったのか
上から順番に
浅山→清水エスパルス
阿部→札幌→Fリーグ北海道
山下→現帝京高校コーチ
加藤→浦和
谷内→JFL佐川東京
南→浦和 現長谷部の個人マネージャー
永田→柏→新潟→浦和→ヴェルディ 元日本代表
大井→磐田→湘南→新潟→磐田
岡田→札幌→栃木→水戸→藤枝
西河→広島→徳島→山形→横浜FC→琉球
平松→水戸→FC東京
保谷→神戸
栗原→横浜FM 元日本代表
徳永→FC東京→長崎 元日本代表
秋葉→横浜FC→水戸
岡田→磐田→福岡
長谷部→浦和→ヴォルフスブルク→ニュルンベルク→フランクフルト 元日本代表キャプテン
沖本→福岡
蒲原→福岡 強化指定→鳥栖→琉球→町田 佐賀出身
西→HONDA FC
六車→京都→新潟→徳島 現興国高校監督
藤本→清水→名古屋→横浜FM→ガンバ→京都→相模原 元日本代表
成岡→磐田→福岡→新潟→相模原→藤枝
大沢→大宮→JFL佐川→カマタマーレ
木村→広島→金沢→長崎
鈴木→FC東京→神戸→アンジュ→大宮→仙台
ということで
30名中、23名がJリーグへ
ほとんどがアンダー日本代表
その中でも3名ほどがA代表
そして、長谷部は日本代表キャプテンで海外で今も活躍中
九州や全国、海外に行ったら
本当に化物ばかりです。
速い・上手い・賢い・強い・高い・しゃべる・蹴れる・止めれる・オーラ
全部が彼らにはあります。
この中に私も入れたことは
本当に意味がある。
化物たちに勝つ為には
自分が化物にならないと
完全に勝つことは難しい。
先日の全日本U-12全国大会に創部3年で全国大会に出場した静岡代表のチームの監督さんは
インタビューでこう述べています。
■創設3年目で全国大会出場。静岡県王者が初の大舞台で感じたごまかせない隙とクラブを成長させるための手応え
クラブ創設3年目にして、2023年末に行われた、「第47回全日本U-12サッカー選手権大会」に初めて出場したFCガウーショ(静岡県)。
強豪チームがひしめき合うグループリーグで、勝利を記録することはできませんでしたが、チームは全国の大舞台で大きな経験を得ました。
大会中、COACH UNITED ACADEMYに出演する柴原監督に、大会で感じたことをお伺いしました。
「これまでは『いいわ、いいわ』で見逃してきたところが、ミスに繋がって失点したりと、このレベルではすべてが出るなと感じました。
ごまかせないですよね。そこを早い年代から詰めて行って、隙をなくさないと、全国では勝てないと感じました」(柴原監督)
もちろん隙を見せることは日常からしないように取り組む
隙を見せないこと、突き詰めること
細かいところまで手を抜かず全力でこだわってやることは当たり前でありながら
化物になるには
それ相当なことをやって
相当努力しないと簡単に化物にはなれない。
皆やってきてるはずですし
近くで見ててわかります。
グラッソの選手達も
化物になっていきましょう。
松木玖生選手が育った、室蘭大沢少年団の初代監督で僕や松木選手始め、多くのプロ選手を輩出する少年団の礎を作った名指導者 長尾さん
長尾さんはお亡くなりになられてしまいましたが、私は本当に長尾さんに感謝してもしきれません。
たまたまご縁で長尾さんが室蘭選抜の監督に就任し、そこで運命的な出会いがありました。
まだ私が未就学児だった頃、私の父が大病を患い、運良く退院してうちに帰ってきて銭湯に行ったときに倒れてしまい
救急車で病院に運ばれたんですが
その時に救急車に乗っていた救命救急士が長尾さんだったんです。
それからしばらくして父が他界し、数年後に
サッカーで長尾さんと再会して、2年間地獄のような練習をして
サッカー選手としてもそうでしたが、人としても厳しい指導をしていただき、それを機に能力を開花させ
そこから私の運命・人生がガラッと変わり
小6時に北海道選抜へ推薦してくれたお話もだいぶ時間が経って聞きました。
Jリーガーや日本代表選手など
何人もの怪物を育て、皆から慕われた偉大な監督は今の私の指導の原点になっています。
写真右の白ユニフォームの北海道選抜
真ん中の赤いユニフォームが私で、10番はサガンのレジェンド、新居たつです。