GRANDE LAZOS FC

懸命のリハビリ

昨日書いた「自覚のなさ」

これを見た選手のお父さんから

 

おはようございます。
HPブログ  “自覚のなさ” 拝見いたしました。

自覚のなさ 全くその通りだと思います。
練習もケガをしてる状況であれ病院受診を理由に欠席してしまい申し訳ありません。

日頃より
・ケガにだけは注意する事
(日頃の心掛けで回避出来るものは回避出来る様にする事)
・ケガにより練習したい時に出来ない悔しさ
・チャンスと信頼とポジションを失う事

私も、学生時代に嫌と言うほど体験して来たので日頃から口酸っぱくして伝えていたのですが今回の様な事になり誠に申し訳ありません。

少しでも早く、もっとパワーアップして戻れる様に本人懸命にリハビリしています。

チームに迷惑をお掛けして大変申し訳ないですが、この経験を糧に本人だけでなく家族も 意識を変え自覚して周りに信頼される選手・人間になれる様 取り組ませていただきます。

ご指導の程、宜しくお願いいたします。

 

 

 

この姿勢がとても大切なんです。

起きたことは起きたことで今必死に治療・リハビリをしている。

それを「仕方ない」で終わらせるのか

「何してんだ」と思って懸命にリハビリ・治療をするのか

 

 

これが復帰してから大きな「差」になります。

 

怪我した後の目的は

「チームのためにパワーアップして復帰する」こと。

 

これができなければ復帰してからも変わることなく

下手したら「弱く」なって帰って来ることでしょう。

そうなると試合になんか出れるわけがありません。

 

りんたろうやえりしょうも理解したはずです。

スペインで沢山のものを積んできたけど、自分たちがいない間に残っている選手の皆も積んできているということを。

 

 

懸命にリハビリしている姿というものは

皆、見ています。皆がそれを見て「評価」します。

「あいつはあそこまで、あんだけ懸命にリハビリしてきたんだ」って。

 

その姿こそ

「信頼関係」を生むことになるはずです。

 

 

えりしょうもそうでした。

 

全治3ヶ月

ボルトを入れる手術

 

重傷でした。

 

しかもサッカー以外の所の

練習に行っている途中の出来事でしたから。

 

 

最初は本人も酷く落ち込み

事実を受け入れるのに相当時間がかかったはずです。

 

 

しかし、受け入れてからの彼は

めちゃくちゃ強かった。

 

懸命なリハビリ・治療で予定より早く復帰して

復帰してからあっという間に「人が変わったかのような」別人な成長を遂げ

人生が変わった選手の1人です。

こうしてレアルマドリードと「真剣勝負」できるまでに成長できました。

これは「自分の力」で勝ち取ったものです。

そして、それを支えてくれたチームメイト、スタッフ、医療関係者の皆さん、そして家族

皆の力を支えに懸命に頑張って来れたからこそです。

 

 

 

私も学生時代

1度も骨折はしたことはなく、骨折しないように細心の注意を払って生活していました。

それだけではなく、骨折しないように自分の身体を上手くコントロールして

受け身も沢山練習しました。

キーパーですからね。

休み時間で体格の大きい相手と相撲までしていましたから。

身体の使い方は理解してきていました。

 

 

でも、1度だけ大怪我したことがあります。

それは高校2年生の時

 

チームバスに乗って試合や遠征に行っていたときのこと

 

座っていると、ズキズキと痛みが。

それが時間が経つと我慢できない位の激痛が走る。

 

要は同じ姿勢でずっといると激痛が襲う。

それが毎回起きるんです。

 

 

原因が全く分からなかったので

一度病院で受診することに

北海道選抜の時にお世話になっているドクターの所へ

 

 

検査したら

右膝棚障害という診断結果が。

 

これは

膝関節の内側と大腿骨の間にある滑膜ヒダの張り出している部分が膝蓋骨と大腿骨の間に挟み込まれ

膝蓋骨を動かしたときに膝蓋骨の内側に引っかかりを感じ痛みが生じます。

これを棚障害と言い、膝関節に慢性的に負担をかけることで、棚が厚くなったり硬くなったりすることで挟み込まれて症状を起こします。

先天的に膝蓋骨の形の悪い人や膝蓋腱が長い方も症状を引き起こす可能性が高いと言えます。

引っかかりや痛みが生じた状態を長時間放置していると、安静時や起立時でさえも重苦しさが残り疼痛が持続します。

そこまで放っておくと、運動パフォーマンスにも支障を来します。

とのこと。

 

その信頼していたドクターからは

「あ、これ阿部君手術しないと治らないよ」って。

 

時は4月下旬

もうすぐインターハイ予選が始まる時期でした。

 

でも、このまま放置するわけにも行かず

監督と相談

 

そうしたら監督から

「頼むからゴールに立ってるだけで良いから試合に出てくれ」と懇願されました。

 

あのめちゃくちゃ怖い監督がそんなに懇願してくる姿は初めてでした。

それだけGKというポジションの重要性を理解していたからです。

試合に勝つためにはGKの力が絶対だと。

私が「立っているだけ」で相手は威圧感を感じ

迫力あるコーチングをすることで相手にとって物凄い脅威になるから。

 

 

そこでインターハイ予選に間に合うようにすぐ手術を決断

 

 

しかし、手術しても全治2~3ヶ月が一般的です。

2週間後に始まるインターハイ予選

普通なら絶望です。

 

 

事情を説明して

すぐに手術を決行

 

手術後のあの痛みも激痛でした。

メスを入れているわけですし、膝の中で焼いて飛び出ているものを切っているわけですから、麻酔が切れたら激痛でした。

手術時は下半身麻酔でしたので、手術中は寝ずに起きていて、内視鏡で映っている画面を見ながら手術の経過を見ましたから。

 

 

そして、翌日からリハビリ開始。

 

全く動かない膝を無理矢理動かすリハビリ

死に物狂いでした。

何度も泣きました。

 

 

リハビリ後は膝に血が溜まったのを注射で直接膝に刺して抜く作業

 

これも激痛です。

 

 

最初は3本分溜まっていて

翌日は2本分

その次は1本分と量は減っていきましたが、激痛であることは変わりありませんでした。

 

 

そして、ドクターの指示で3日で抜糸。

これには看護婦さんもびっくりしていました。

ドクターに再度確認したくらいです。

 

 

そして、1週間で退院

次の1週間でインターハイ予選に出場

 

 

手術してから2週間

血の滲むような努力でピッチに立つことが出来ました。

 

でも、膝は思ったように全然動きません。

でも、人間追い込まれたら何とかなります。

 

結果、無失点で地区優勝して北海道大会に進出することができました。

 

普通なら2~3ヶ月の怪我で

2週間で戻って来れません。

 

それでも、監督と交わした約束

懇願してくれた想いを受け取って、チームのためにベスト以上のものを尽くすことが出来た。

本当に壮絶でした。

 

 

その姿を見ているドクター、トレーナーの皆さんが私の姿を見て

監督に連絡していたことも後に知りました。

「あの選手は凄い選手だ。本当に戻ろうと懸命に頑張っている」という姿を報告してくれていたから。

 

 

それから皆にはめちゃくちゃ怖い監督が

私にだけ優しく

時には監督がチームやサッカーの相談を私にしてくれる関係性になりました。

 

それからは大きい怪我もなく

毎日きつい、辛い、苦しい練習を乗り越え

 

そして、入学時に「プロになりたい」ということを明確に監督に伝えてから3年後

高卒でJ1のクラブからオファーを受けて

大学や他のプロクラブからもオファーをいただき

人生が変わるきっかけを作ってくれました。

 

 

本当に私は恵まれたと思っています。

環境や指導者や支えてくれる人たちに本当に恵まれました。

 

でも、そこに甘えず自分で最大限の努力もしてきて

「唯一無二」のGKになれたこと。

国体という選抜された選手達の中の全国の舞台でGKは4人しか選ばれない優秀選手になれたという「評価」もいただきました。

 

 

全ては繋がっています。

点と点が線で結ばれるんです。

 

 

今回のお父さんもそう

けんしんのお母さんもそう

 

スポーツでトップを目指し、上り詰めた人だからこそ

その「意味」がわかります。

怪我をして「休む」ことが本人・チームにとってどれだけの意味を持つのか

怪我をしないことがどれだけ大切なのか

早く復帰するためにどう最善を尽くすのかを。

 

 

それをわかっている人と分からない人では「雲泥の差」です。

「時間は無限ではなく有限」なんです。

 

 

スポーツで上り詰めた人たちはそれを乗り越えて今があります。

その「意味」を学んで・知って・理解して・実行してください。

コメント

*


上の計算式の答えを入力してください

*
* (公開されません)

080-2725-1024